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散歩せずにいられない

by 唐草 [2017/12/28]



 ぼくは、毎週火曜日に近くの公園まで散歩に行くことを習慣にしている。健康のことを考えての散歩と呼べないことはないが、それは風が吹けば桶屋が儲かる的な間接的な関連でしかない。ぼくが歩くのは、適度に体を疲れさせて早寝をするため。翌日の水曜は1限から授業があるので早起きする必要がある。早起きをする最も簡単な方法は、早寝をすることである。
 ぼくのようにパソコンに向かってキーボードを叩いてニヤニヤしているだけの人間にとって早寝というのは容易なことではない。肉体的な疲労が無ければ眠くはならないのだ。
 そこで容易に適切な肉体的疲労を得るために火曜日の散歩を習慣としている。この習慣のおかげで、早起きが苦ではなくなったし、質の高い睡眠をとれるようになった。結果として、水曜日1限の授業も元気に行えるようになった。
 しかし、習慣とは恐ろしい物である。やらないと体がムズムズするような欠乏感に襲われる。天気が悪くて散歩を断念した日なんかは、なんとも居心地が悪い。
 ぼくは今週から冬季休暇に入った。早起きする必要はまったくない(かと言って夜更かしする必要があるわけではないのだが)。だから今週の火曜日は散歩に出なかった。これは合理的な判断である。早寝するための散歩なのだから、早起きする必要がなければ行う必要はない。
 でもぼくの体は、習慣を守らなかったことに異議を申し立ててきた。天気が悪くて散歩に出られなかったときのような欠乏感が体を包み込んでいる。何か大切なことを忘れてしまってるような落ち着きの無さをずっと感じていた。ぼくはいつの間にか習慣に乗っ取られてしまったのだ。
 だから時間のある今日、別に早寝する必要なんてまったくないのにいつもの公園へと散歩に向かった。
 公園に着いたとき、関東らしい雲のない空に輝く太陽は早くも日の傾きを感じさせるような夕日色の光を放っていた。午後の3時過ぎだろう。公園の池に目をやると池の半分以上が薄い氷に覆われたままだった。朝方の冷え込みが、弱い陽の光などものともせずに残ったままだった。
 こんな寒い日に用もないのに散歩に出てしまうなんて、あまりにも合理的でない判断である。習慣とは恐ろしいものだ。でも、そのおかげで薄いとは言え氷に覆われた池という珍しい光景を目にすることができた。家に引きこもっているよりはずっと有意義であった。