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名前が分かるとおもしろい

by 唐草 [2017/05/26]



 ぼくは、小さい頃から車が大好きだ。乗用車なら様々なメーカーの多くの車種を識別できる。
 車種が分かるようになると道を眺めているだけで十分に楽しむことができる。
 新しい車が通れば「○○の新型モデルってもう納車始まったんだ」と販売スケジュールまで考えてしまうし、古ぼけた車が走っていても「まだ80年代の車に乗っているなんてすごいなぁ。メンテ大変だろうなぁ。愛があるなぁ」と感心してしまう。
 さすがに厳密な型番や年式までは分からないが、「2代前のメルセデスのCクラス」だとか「リアスポイラーを換装したR34スカイラインだ」とかぐらいまでならどうにか認識できる。まだまだ判断できないことが多くて、もどかしい思いをすることも少なくない。
 とは言え、車にまったく興味のない人と比べれば遥かに多くの情報を読み取っているのだろう。
 興味の無い人だったら、車種名どころかメーカー名すら分からないことだろう。なんか銀色の車が通ったとか、音のうるさい車が走っていた程度の認識しかないだろう。興味が無ければ、仮にフェラーリのような特徴的な車が目の前にあっても認識できないかもしれない。ぼくだったら「458だ!458だ!」などと3桁の数字を口走ってしまうと言うのに。
 名前が分かるというのは、何かを認識する上でとても重要な役目を果たす。
 最近、ぼくは野鳥の名前を覚えようとしている。名前を知らないと茶色い鳥とかギーギー鳴く鳥というような認識しか持てない。その結果、鳥は鳥であってそれ以上の識別はできず、思考はそこで止まってしまう。
 でも、名前が分かるようになるとそこから知識がどんどんと繋がっていく。「あれは渡り鳥だ。もうそんな季節なのか」とか「巣作りの季節なんで忙しそうに飛び回っている」とかそんな風に付随する情報を思い出して多くのことを認識できるようになる。
 名前が分かると、途端に世界がおもしろく見えてくる。
 鳥の次は、植物だな。「花が咲いている」ってだけの認識は、あまりにも退屈である。