by 唐草 [2017/03/16]
戦争や災害で世界が一度崩壊したという世界設定というのは、SFなんかでよく見るパターンだ。この手の物語を指すジャンルがあるということを先日知った。
『ポストアポカリプス』というらしい。
アポカリプス、つまり神の裁きの後の世界ってことだ。そこはかとなく厨二心を刺激してくれる言葉だ。この辺のセンスは、世界共通のものなのだろう。
「ポストアポカリプス」という言葉を知って思い浮かんだ作品がいくつかある。映画だと『MAD MAX』、ゲームだと『Fallout』なんかが、模範的なポストアポカリプスなのだろう。宮崎駿の『風の谷のナウシカ』もポストアポカリプスと言えるだろう。一方、映画『猿の惑星』はオチから言えばポストアポカリプス作品なのかもしれないが、個人的にはうまく説明できないがなんか違うようにも思える。ジャンル区分は、難しいものだ。
ポストアポカリプス設定は、物語を書くのが楽なのかもしれない。未来的なものと現代的なものが同居していても「世界が崩壊したせい」の一言で片付けられる。魔法のある中世風ファンタジーと同じで、好き放題やれそうな印象が強い。
ポストアポカリプス作品で重要なのは、なぜ世界は崩壊してしまったのか?ということだろう。
この解答は、ぼくの触れた作品が偏っていることを加味しても、圧倒的に戦争が多いように思える。SF小説の人気が今よりも高かった70年代は、核の恐怖と冷戦構造があったから戦争による世界崩壊が今より現実味を帯びていたのかもしれない。なにより、多くの人が戦争を現実に目の当たりにしていたし。
でも、21世紀の日本でネット世界に入り浸ってノホホンと暮らしているぼくからすると、戦争による世界崩壊は遠いイメージだ。隣国がミサイルを撃ってきていてもだ。それよりも、やはり自然の脅威によって世界が滅びる方が現実味があるように思えてしまう。
描かれるアポカリプスの正体は、作者を取り巻く社会の恐れということなのか。